千雨と蟻と小銃と 38-11


「どうかしましたか?」
 桜咲刹那の声は少し遠かった。我に返った神楽坂明日菜が、夕焼けから視線を外し、声のした方に向ける。友人達が少し距離を開けて立ち止まり、振り返っていた。知らず知らずのうちに足を止めて夕日に魅入っていたらしい。
「あ、うん、日の入りがだんだん遅くなってきてるなぁって」
 そう答えて明日菜は視線を戻す。決して晴れやかとは言えない心境同様、雲が夕日に照らされ、赤と灰で様々な表情を見せている。
「そうでござるな。中間テストと学園祭が終わればすぐに夏休みでござるよ」
「期末テストが抜けているです」
 言って、綾瀬夕映が溜め息を吐いた。長瀬楓もほぼ同じタイミングで吐息を漏らす。それらは質の悪い感冒を含んでいたようで、明日菜にも感染した。
 一人流行に混ざることが出来ない刹那は、ただただ何とも言えない表情をするだけだった。それでもこれは自分が言わなければいけないと思ったのか、
「そんな先の心配をするより、来週に迫った中間テストの事を考えた方がいいのでは?」
 と現実を突きつけた。バカレンジャー達の視線を一身に浴びて、刹那は苦笑を浮かべることしか出来ない。彼女も決して成績が良いとは言えないが、それでもどこか余裕が見て取れる。それはきっと、
「私はちゃんとテスト勉強やってるわよ」
 明日菜はちゃんと勉強しようと机に向かっている。ただ気が散って集中できず、ノートが真っ新のままになってしまうだけだ。
「レッド、それでは拙者達がなにもしていないようではござらんか、そうでござろうリーダー」
 グリーンがブラックに同意を求めた。
「そうです。私もいままでよりは真剣に勉強に打ち込んでいます」
「そういうつもりで言ったんじゃないわよ」
 明日菜も彼女達が本気で起こっていないのは分かっている。どうにも暗くなりがちで、自分達をネタに笑いを提供しているに過ぎないのだ。
「本当は英語にばかり気を取られて、他にはほとんど手をつけていないと言ってもいい状況ですが、正直に言いますとエヴァンジェリンさんの別荘を当てにしていました……」
 夕映のそれは本音だったのだろう、言葉に気持ちがこもっていた。
「それはあるわね」
 明日菜が同意する。なにせ一時間が一日に延びるのだ。普段から別荘で宿題をするものもいる。そしてそこには現役の教師がいた。昨年度の学年末テストで見せたバカレンジャーの躍進はネギの尽力がなければ果たされなかっただろう。修行で疲れていても質問をすればネギは嫌な顔ひとつせずに親身に推してくれる程だ。魔法にばかりかまけて、学校の勉強がおろそかになるのを危惧しているのかもしれない。いや、している。
「貸してくれるかどうか分かりませんよ?」
 刹那が苦笑交じりに言った。場を提供しているエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは勉強会の様相を見せ始めると心底嫌そうな顔をする。千雨もそんな時には絶対に姿を見せない。
「そうね。貸してくれそうにないわね」
 テストの勉強会となれば、持ち主まで強制参加となるかもしれない。いや、なるだろう。エヴァンジェリンも決して成績が良いという訳ではない。彼女の場合はやる気がないと言うだけで勉強が出来ないという訳でもないだろが、
(私達って万年最下位だったのよね)
 それもぶっちぎりだった。それでも千雨とエヴァンジェリンがやる気を出せば多少変わったのではないだろうか。二人程度ではバカレンジャーの穴を埋めるのは不可能だろう。それなのに子供先生に担任が替わって大躍進を見せた3-A。
 そこまで考えて、明日菜が、「うん」としかめっ面をして、首を捻った。
「どうかしたでござるか?」
「え、あ、なんでもないの。ちょっと高畑先生のことがね」
「高畑先生のことですか?」
「ネギが担任になって大躍進したじゃない私達のクラス」
 それだけで言いたいことが分かったのか、ああ、漏らして皆が気まずい雰囲気が流れ出す。麻帆良学園は私立校だ。校風も緩く、生徒はエスカレーター式と言うことにあぐらを掻いている面もある。というか明日菜達バカレンジャーがそれだ。明日菜は中学校に入学するまで一緒に暮らしていた高畑に対して、恩を仇で返しているような気になってきた。
「クラスとしてもモチベーションにあきらかな違いがありましたからね。自分達よりも年下の少年の教師生命も掛かっているなんて話も出回りましたから、それがデマだったので、今度の中間テストはトップとは行かないのではないでしょう。下手をすると元に戻るかも知れません。表向き殺人事件が収まりつつある現状、緊張から解れ、皆さんの関心はスタートダッシュに遅れた麻帆良祭に向けられていますし」
 今日の昼休みに私も呼び出されました、と刹那。それは夕映も明日菜も同じだ。この学園祭に対しては本気にならない生徒の方が少ない。この祭りで一財産当てようとするものも少なくないし、部費の補填を考えている部活もある。開催が危ぶまれていたが、何とかなるのではないかと言った期待感で、より一層熱が入ってしまっている。
「そうですね。ですがそれなら成績が下がるのは私達のクラスだけではないのではないでしょうか? 全体的に成績が下がると思うのです。むしろ半数以上の人間が魔法と関わり合うことになっている自分達の方が優位とも取れます」
「そこは成績が下がった方がいいと思うのでござるよ」楓が糸目を見開いて言った。
「え、どうして」明日菜が聞いた。
「成績が下がると言うことはつまり諸々の問題がすべて解決して、今まで通りになったということでござる」
 内容を噛み砕くのに幾許の間が必要となった。
「そうよね」と明日菜が首肯。
「昨年の中間テストは散々でした」
 夕映がしみじみと続いたが、口許は笑っている。皆も笑っていた。明日菜も口許を緩めている。
「こうなれば盛大に最下位を取ろっか」
 そうすれば今まで通りだ。学園祭が気になって勉強に手が付かないのがこの時期の風物詩でもある。そんなうわつきをひしひしと感じた教師陣が、ことある事に口を酸っぱくしてテスト勉強を促すのもいつもの光景だった。
「でも、そんなことをいいんちょがさせるとは思えませんが、まあ、このまま口にしなければ自ずとそうなるかも知れないです」
「そうですね。テストまで一週間を切りましたが、まだなにも行動を起こしていませんからね」
 夕映の意見に刹那が同意する。ネギが担任の手前、見事最下位に返り咲くなんて醜態を彼女が見せるとは思えないが、その為の対策は行われていない。
「いいんちょもこちら側になったでござるから起こせないのが正解では……」
「テストはなるようになるわよ。それよりこの面子で迎える最後の学園祭、ちゃんと開催されるのかしら……」
 来年には自分達は高校生になる。全員が全員、このまま進級すると事は無いだろう。しても高校ではクラス替えがある。
(ネギは研修が終わって、立派な魔法使いを目標にどういったことをするか具体的には分からないけど)
 麻帆良から巣立っていくだろう。エヴァンジェリンも呪いが解けなければまた中学生のやり直しだ。その辺りはもう千雨に期待するしかないが、
(解けたら解けたでエヴァちゃんも……)
 ネギの父を探しに、麻帆良から出て行くのではないだろうか。そうすると魔法使いの卵の夕映達はどうするのか、独学か、魔法使いを止めるのか、それとも千雨に魔法を習うのか、エリザベートは構わないと言っていた。後はどこかの学校に入学するしかないのだが、それは時勢という大きな壁が立ちふさがる。
「鎖国とか本当いい迷惑よね。ねぇそれでどうする?」
 今夜にエリザベート・D・タルボットから魔法薬が届く手筈になっている。ただしそれを使用するかどうかは自分達の裁量に任せられていた。

 アナセスは喫茶店にまだ居た。帰路につく明日菜達を陰ながら見守り、その会話に聞き耳を立てていたが、関心は目の前の優女に向けられている。
 そんなエリザベートはアナセスの視線など気にもせず、頬杖をついて、虚空を睨み付けていた。一見紫煙を目で追っているようにも見えるが、魔法薬の構造式の組み立てを行っている。邪魔をするべきではないのだろう。しかし製造に着手する前に注意しておかなければならないことがある。
「これから作るという魔法薬、手を抜くんじゃないの?」
 それをアナセスは危惧していた。
「どうしてそんな心ないことが言えるのかしら」
 演技がかった口調だが、眼差しは涼しげでエリザベートが軽く受け流していることは明白だった。
「その方が都合が良いからなの。でもあすな達を利用して欲しくないの。あすな達は現状維持を望んでいるの。今までと変わらず馬鹿やっていたいの」
 贅沢な話だけど……、とアナセスが余韻を含ませる。色々な魔法使いの思惑が交差する、この転換期の流れはどうやっても断ち切れない。
「それでも現状を限りなく維持させる方法があるの。えりざべーとはそれを狙っているものと、あなせすは考えているの」
 それは最終手段だった。場を引っかき回すのが趣味のアナセスをして相談途中に口に出せなかった。それが明日菜達の口から万が一にも魔法界側に知られるのは避けたかったから。その方法をアナセスはいざとなれば千雨に進言するつもりでいた。そんな事をしなくても千雨なら気付いているはずだ。
 そして目の前、プラハの次期盟主もその手段に気付いているはず。あんな場当たり的な対処方法しか考えつかない訳がない。真っ先にこの方法を思いついた筈だ。
「鎖国が実施される前に、魔法世界と地球を分断すれば解決だものね」
 事も無げに言ったエリザベート。
「そうなの。世界各地の楔を破壊すれば良いだけなの。麻帆良の世界樹がちょっと手間だけど、不可能じゃないの」
「不可能なんて言葉は使わないで欲しいわね。麻帆良を含めた楔の破壊なんて簡単な事よ。私達にとっては――いいえ」
 エリザベートが頭を振り、
「私、プラハを中心として一丸となった世界各国の魔法使いにはね」
 アナセスが舌打ちをするように牙を打ち鳴らした。
「やっぱり……ちさめの言うとおり性格が悪いの。あすな達はまだ理解してないけど、夜には気付くの。あそこまで話を聞いたら、自己判断に任せたけど薬は飲むしかないの。万が一を考えない訳がないの。自分達から情報が漏れるのを防ぐためにはえりざべーとを頼るしかない。あすな達にそれを漏洩させない技術はないの。だから絶対に使用する事になるの。そして体のいいメッセンジャーに仕立てられるの」
 どうやったらそんな事態を防げるか、アナセスは考える。
 千雨は自分の事に掛かりきり、テレジアに頼もうにもどこに居るのか分からない。
(えう゛ぁんじぇりんは……駄目なの。まだダウンしているの)
 あと知り合いとなると、天ヶ崎千草ぐらいになるが、彼女の腕が目の前の魔女に匹敵する物とは思えない。最低、千雨達レベルの魔法使いが必要だが、そんな魔法使いは数えるほどしかおらず、お手上げだ。
 苦々しくエリザベートを見上げることしか出来ずにいると、その形のよい唇が震えた。
「そうかしら? 近衛近右衛門が上手くやれば、近衛近右衛門にそれだけの信用があれば飲まなくても良いんじゃないかしら? 私がどんな仕掛けを施そうと未然に防げば無駄骨になるんだから、私がやっている事なんてあくまで保険の保険よ。それに私がなにも言わなかったとしても、あの子達は心を覗かれた時点でアウトでしょうに」
「変わらないから利用して良いって事にはならないの」
 くすくすとエリザベートが笑い出す。どうにか堪えようとするも、堪らず声に出して大笑いし始め、ひとしきり笑うと、
「フフ、あー面白い。……って言ってますけど、私がそんな事を考えていると思いますか、テレジアさん?」
 アナセスはハッとして後を振り返った。煉瓦調の壁紙が人形に揺れた。それはだんだんと色と形を持ち、
「あり得ないわね。考え違いをしているわよ、アナセス。そう言う側面が全くないとは言わないけど」
 エリザベートが頷き、答える。
「もし私の術が破られた場合、私がどう考えているかというメッセンジャーにしたのは本当、私には時間稼ぎが必要だしね。各国の魔法協会と協議しなければいけない。その前に私がプラハの盟主の座につかないと、プラハの一魔法使いじゃ意味が無いの。そんな身分で事を起こせば、功績は上に持って行かれそうだしね」
 忌々しそうに吐き捨て、
「私はプラハの、次期盟主の座が欲しいのよ。そしてゆくゆくはプラハだけでなく、この世界に君臨するつもりなの。そんな私が名を名乗り、魔法薬を作り与える。それの意味が分からないかしら? 簡単に突破されるような代物であって良いはずがないわ。それこそ名折れになる。ただでさえ……」
 柳眉を醜く歪め、エリザベートが唇をきつく噛んだ。代々プラハの盟主として君臨してきた血筋の中、彼女だけがその器に相応しいか試されるのだ。それだけでも屈辱なのに。
「ええ、本気よ。一山いくらの量産品共なんかに私の術が破られてなるものですか」
 裏社会のトップに立つと豪語する優女は、何事も無かったように、朗らかに言ってのけた。
「と言うことよ」
 テレジアの声が染み渡る。
「テレジアさんは、近衛近右衛門になにかをしたんですか?」
「さあ」と首を傾げるテレジア。
「そうですか。しかし、あの近衛近右衛門が読心術者程度に手も足も出ないとは、なにかあるのですか?」
「そのようね。先方は先方でいろいろ考えているみたいよ。評判通り抜け目のない老人で間違いないわ。私の施術なんて本当は必要ないのかも知れないわね」
 そう言ってテレジアが笑みを零した。納得したのかエリザベートが笑みを返す。だがアナセスは納得できない。
「自分を実験材料にこっちの技術の一端にふれる機会に使ったとか、そんな感じなの?」
 テレジアは頭を縦にも横にも振らなかった。アナセスはムッとしたが、これ以上の追求は諦めた。彼女の様子から話す気がないのは明らかだった。
 近右衛門のスタンスというのは大体理解しているつもりだ。彼がどんな未来を見ているのかも。アナセスは思考を巡らせようとしたが、エリザベートが口を開いた。
「どういった施術を行ったかは……」
「あなたが想像していることで間違ってないと思うわよ」
 そうですか、と満足げに返すエリザベート。自分がいないように話が進められてカチンときたアナセスは声を荒げる。
「無視されているようで嫌なの!! 二人だけで会話しないで欲しいの、ここにあなせすもいるの。あなせすにも分かるように説明して欲しいの!!」
 前脚を大きく振って自身の存在をアピール。テレジアとエリザベートの注目を集めることに成功した。
「忘れている訳じゃないし、無視しているつもりもないんだけど、こういう裏工作は結果だけ知っていれば良いのよ。あなたから漏れないとも限らないでしょう? 後で千雨に聞いたらどうかしら? あの子も何かしらの対策を取らなければいけないんだから、教えてくれるかもしれないわよ」
 そう言われたら仕方がない。アナセスは渋々頷いた。
「ネギ・スプリングフィールドはどうするんですか? 同じようには行かないですよね。その事でもひとつ気になることがあるんですが、千雨はどうするつもりなんです? 彼女達に自分の正体を隠してますよね。遅かれ早かれあの子のもう一つの名が知れ渡りますよ」
 エリザベートの質問に、さぁ、とテレジアが小首を傾げ、
「それはあの子が考える事だから私がとやかく言う筋では無いわね」



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