千雨と蟻と小銃と 38-9


 ふいと変わった世間話に、神楽坂明日菜はハッとなった。彼女なら――
「千雨ちゃんが大怪我してるんです。治療することは出来ませんか?」
 しかし答えは得られなかった。「あ」と綾瀬夕映が漏らしたからだ。彼女は瞠目していた。
「どうしたの?」
「あ、いえ、いいんです」
 夕映は強張った表情を崩すが、どこかぎこちない。本当にどうしたのだろう。そんな夕映のことも気になるが、しかし明日菜はエリザベートからの返事を欲した。
 なのに、彼女は目を見開いて動いていない。息まで止めてしまっているようだ。
(私、そんな大変な事を言ったの?)
 いや、たしかに千雨が行動不能に陥っていると言うのは大事だろう。他人に治療を頼まなければいけないと言う非常事態だ。
(あれ? でもなんであの時……)
 今日の早朝が思い返される。あの場にはルームメイトの近衛木乃香もいた。それなのになぜあの時、自分を含め、誰も千雨の治療を頼まなかったのだろう。木乃香にしてもなぜ自ら治療を買って出なかったのだろう。
 とは言え、あの場の空気は異様だった。緊張からそこまで気が回らなかっただけかも知れない。千雨の部屋の前に陣取った龍宮真名に気圧されもしていた。なにかこちらから提案する空気では無かったのは確かだ。そうしてただ言われるままに部屋に戻り、昨夜ここ麻帆良で何かが起きた。その事に自分達は不安に身を強張らせたまま、思考を停止して朝を迎えた。
「明日菜殿?」
 三者三様に考え込む中、ひとり油断なく気を配っていた楓が心配そうに言った。明日菜が一番深刻そうに見えたからだろう。
「あ、うん……」
 真名にしても木乃香の力の事を知っているはずだ。千雨にしても木乃香の力のことは重々承知のはず。それなのに彼女に頼らないと言うことは、
(木乃香のアーティファクトでも治療出来ないって考えたから?)
 そもそも千雨が只の傷で動けない方がおかしい。首を落とされても生きていられるのだ。京都では両足と片腕を失い、ミイラ状態だった。それでも朝には一人で足早に姿を消していた。常人の発想で千雨を計ってはいけない。
「……そうかも」
 なるほど合点がいった。何もおかしくないと、明日菜は自分の中に湧きだした疑問に終止符をつけ、
「あのエリザベートさん」
 と話しかけた。端整な眉が歪んだ。話しかけるなと言った空気が全身から放たれている。しかし、気後れしている場合ではない。伝えなければいけない事がある。
「なにかしら? ちょっと集中させてもらえない……、そうそうあなたたちまだなにも注文していないようだけど、なんでも好きな物を注文しなさい。珈琲一杯で長々と場所を占領するのは気が引けるから」
「いえ、そんな事よりも……」
 ここまで食い下がると流石にエリザベートも聞く体勢に入った。だが、話し出したのは明日菜では無く、夕映だった。
「千雨さんがどんな状態かはわからないのですが……、エヴァンジェリンさんもどうやら同じような事になっているようなのです」
「エヴァンジェリン? エヴァンジェリンって、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの事かしら」
「はい」
「真祖の吸血鬼まで……」
 エリザベートが絶句している。他にも伝えなければいけない事がある。分かっていることはすべて教えた方が、参考になるだろう。明日菜が木乃香のことも補足しようとしたが、夕映が横目で一瞬チラ見して、先に口を開く。
「あの素人考えなのですが、ここで考えるよりも直接、診た方が速いのでは? 真祖の吸血鬼まで行動不能にするなにか、千雨さんにしても首を断たれても生きていられる魔法使いです」
「そうよね」
 もっともな意見に明日菜は同意を表し、勢いよく席を立った。話なら道中でも、寮でも出来る。
 しかし、エリザベートは席に座ったまま、立ち上がろうとしない。それどころか珈琲に口をつける始末だ。ただ残りを飲み干そうとしているだけかと思ったが、少し残して受け皿に戻すと、一向に立つ気配がない。それどころか頬杖をついて微笑を夕映に向けていた。
 生唾を飲み込む音がした。夕映だ。極度の緊張をしいられている。楓が少し腰を浮かして、冷や汗を額に浮かべていた。
(え、なんで)
 と明日菜は分からない。これではまるで一触即発と言った場面ではないだろうか。もうそういった危機は去った筈だ。
「力を抜いた方が良いわ。徒労よそれは。それが正しい反応なんだけど、千雨と知り合いというのも本当だし、彼女がうちに所属しているのも本当。ただそれをあなたたちが今すぐに確かめる術がないのが悲劇ね」
 だからこうして行き違いになってしまう、とエリザベート。
「そうね。何だったら場所を移しましょうか? 千雨に聞いてもらうのが一番手っ取り早いわ。あの子なら死にかけでも話ぐらいは出来るでしょうし、ただ千雨の治療に関しては、あまり期待を持たせるのも何だから先に言っとくとね。私が千雨を治療するのは無理だと思う。看てみないことには断言出来ないのだけど、私が看てすぐに治せるような症状なら、千雨は自分で治療しているはずよ」
 まるで我が事のように言ってのけた。絶対の信頼が含まれる。
「だったら、ここに私達を呼んだ本当の理由は何なのですか? 世間話が目的ではないはずです。そもそもおかしいのです。どうやってあなたは、私達が千雨さんの知り合いだと判断したのですか?」
「そんなの千雨ちゃんに聞いて……」
 明日菜の言葉尻がすぼむ。これまでの千雨の態度に引っかかりを覚えた。
「それはないと思います」
 そんな想像を肯定するように夕映が言った。
 千雨は自分が魔法を教えることを渋っていた。仮契約にしてもそうだ。なにかと自分が関わる事を嫌っている節すら窺える。そんな千雨をただ面倒臭いからだとばかり思っていたが、彼女が所属する組織に配慮した結果だとしたらどうだ。門戸の広い組織でもない。千雨は自分が表立って関わるのは、よろしくないと判断したのでは無いだろうか。
(もしそうだったら、千雨ちゃんはこの人に私達の事なんてなにも教えてない。それどころかむしろ隠している?)
 それなのに初対面の自分達に向かって千雨の知り合いと言ってのけたエリザベート。
(そうよ。千雨ちゃんは昨日取り調べを受けたかも知れないんだった)
 もし読心術が本当なら、それによって千雨の事をどこまで知ったのか。それで得た情報から話を作った可能性もあるのではないか。
 そんな風に明日菜が思考迷宮の奥にどんどん踏み込んでいく中、エリザベートが口を開いた。
「どうして千雨の知り合いと判断したのか、ね。まず切っ掛けね。あなたたちのあの態度は、目を引いたわ。見れば数人、澱みのない気の流れをした子達がいる。そしてあなたは魔法使いの卵でしょう。あと数人、同じような子が見受けられた。意識しすぎね。本当におかしな集団だったわよ」
 それでも初めのうちは見て見ぬふりをするつもりだったんだけど、最後にあなたが目に入ってしまって、とエリザベートが明日菜に微笑みかける。痛恨の極みだ。いや、まだエリザベートでマシだったのだろう。
「あなたの言うとおり、千雨は私になにも教えてくれてないの。あれほどの才能を無為に過ごしている理由はなぜかしら? これは一種の命題なのよ。私達の間でも何かあると必ず上がる話題のひとつ。そんなところにあなたを発見してしまったら、ああ、なるほどねって納得がいったわ。
 そうなると、なぜこの子達はこんなにも私を警戒しているのかしらって思えてきたのよ。きっとあのカメラマンとの会話を盗み聞きしたのだと思った。すると魔法使いに見つかることを警戒しているのか、ってね。
 なぜ魔法使いを警戒しているの? 考えられるのは鎖国問題ぐらいしかないわ。魔法使いに見つかってどことも知れない魔法界に連れて行かれるのを恐れている。
 でも、鎖国に関してはずっと昔から言われていた事で今更なのよ。魔法界に属する魔法使いだったらあんなに警戒するはずがない。おかしな話ね。だったらあなたたちはなぜ怯えているのかしら。
 知っていて? ここ麻帆良に魔法学校はないのよ。あなたたちって矛盾するでしょう。それでも自分達のルールを曲げて、ここで魔法を教えている可能性もあるけど、それならあんな警戒の仕方はしないと思うのが自然な流れよね。
 すると、あなたは魔法界が定めたルールに反して魔法を学んでいると導き出せる。私の知る限りそんな事が出来そうな魔法使いは……」
「千雨さんですか」
 夕映が答え、エリザベートが頷いた。
「ええ、だから千雨の名前を出したの。同じ学校に通っているみたいだしね。それぐらいの事は調べられるわ。そうなってくると不思議なのよ。千雨が関わっているのに、あそこまで切羽詰まったような事をさせるとも思えないから。でも重傷で相談が出来ないなら仕方がないわね」
 エリザベートが珈琲を飲み干す。それはまるで気を落ち着かせようとしているように見えた。千雨が行動不能になるとはそれほどの事なのだろう。
 間が開いてしまう。
(ど、どうしたらいいのかしら)
 ひとまずエリザベートの事を信用して、このまま普通に会話をしていいのだろうか。夕映は警戒を、そしてエリザベートもそれが当たり前だと言ったせいで、どうにも会話がしづらい。
 それなのに、当の夕映が開口する。
「それでここに呼んだ理由はなんですか?」
「え、ああ、そうね」とエリザベートが我に返ると、「どうしてあんなに切羽詰まっていたのか、それが知りたかったの。さっきも言ったけど千雨が関わっているなら、あんな真似はさせないし、その辺の相談に乗りつつ、世間話も交えて千雨があなたたちにどう関わっているか、探ろうと思ったのよ」
(そうだったわ。エリザベートさんは私達が知っている魔法使いとは違うんだった)
 自分達が千雨から魔法を習っていると知ったら、エリザベートはどうするのだろう。ネギたちは記憶消去と言う手段を執るが、彼女は……
「あ、あのぉ、千雨ちゃんに魔法を習っているというのはやっぱり不味いことなのでしょうか? あなたたちの規則ではどうなっているんですか」
 怖ず怖ずと明日菜が聞いた。
「う~ん、それほどでもないけど、魔法学校の教師程度だったらだけど、直弟子とかじゃないわよね?」
 エリザベートが夕映を見た。夕映ももう彼女が言っていることが本当か嘘か、慎重に対応している訳にはいかないと思ったのだろう。
「違います。お守りをして貰っている程度です」
「そうなの。それにしてもお守りって、もうちょっと構ってあげれば良いのに」
 こっちのことを気にしているのかしら、と微笑んだ。
「それでいいのですか?」
「あなたたちも言いふらせる立場じゃないし、別にあの子も自分の秘術を伝授しようとしている訳じゃないでしょうから、そうで目くじらを立てるほどでもないわよ。魔法界の魔法はちょっと調べれば誰でも覚えることが出来るぐらいに普及してるから。ただ、あなたは私を目の前にしてポケットを漁っていたわよね。あれって誰かのパートナーを務めていると判断して間違いないかしら? 仮契約か本契約かは分からないけど、その相手は千雨かしら?」
「え、違います」
 明日菜は慌ててがぶりを振った。
「そうなの? こんな稀有な能力者を誰がパートナーにしたのか気になるところだけど……闇の福音かしら、でも、そこまでの自由はないはずだし……、この子も実力不足。ふふ、これ以上は聞かないでおくわ。多分、あなたのパートナーがあなたたちにメインで魔法を教えているんでしょうね。闇の福音も千雨も、人にものを教えるようなタイプじゃないし」
 エリザベートが声を立てずに表情だけで笑った。
「それにしても複雑な立場にいるのね。それ相応に魔法使い達に自分達の事がバレる下地がある。でもそれでも何とかなると思っている所も見受けられる。どうしてかしら? それは千雨でも闇の福音でもない。そしてそのパートナーでもない。人脈がある。その協力者は魔法界でそれ相応の地位にあって、隠蔽に協力している。万が一があっても千雨が復帰するまでの時間ぐらいは稼げるのかしら。だったら私が対処法を授ける必要はなさそうね」
 そう言って話を終わらせると立ち上がったエリザベート。
 それは卑怯じゃないかと神楽坂明日菜は思った。
「それじゃ行きましょうか」
 どこへ、と聞き返そうとしたが、
「その必要はないの。時間が勿体ないからあなせすが聞いてきてあげたの」
 いつから居たのか、カウンターの上に鎮座した青白い蟻が割って入った。



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