千雨と蟻と小銃と 38-8


 神楽坂明日菜が、視界いっぱいに捉えた。
「見掛けてたはいたけど、入るのは始めてね」
 欧州の街並みを再現しているせいか、この街は全体的に色調が明るい。だがこの喫茶店は濃い煉瓦を使用しており、重々しい雰囲気を醸し出している。
「そうでござるな」
 護衛として長瀬楓が。そして、知恵袋として綾瀬夕映が同伴だ。桜咲刹那は少し離れた位置で控えている。他の面子は、古菲が責任を持って寮に送り届けることとなっていた。
「高そうなのと、どうも制服では居るのは場違いのようで、こうして用事があっても二の足を踏む外観をしているです」
 濃いブラウンのニスを塗り込められた木製のドアに嵌められたガラスもスリガラスだ。まるで来客を拒んでいるかのように受け取れる。外からの視線をできる限り排除しているそんな様子が窺えるのは、すぐとなりにある大きな窓にしても言えた。こちらは大きな葉をつけた観葉植物で視線を遮っている。
 気軽におしゃべりを楽しむと言った店では無いのかも知れない。出店場所を間違っているのではないかとも思うが、どこもかしこも学生だらけでは大人が落ち着けないと、そんな配慮から出来た店かも知れない。
「大人の隠れ家って感じね」
「あり得ますね」
「にんにん、だからと言って入らない訳にはいかないでござる。では拙者が先に」
 楓がノブに手を掛けた。カランコロンを鈴がなり、香りが漂ってくる。
「いらっしゃい」
 静かな声。あまり歓迎されているとは思えなかった。もう初老といってもおかしくない。頭髪は真っ白だった。それでも年齢を感じさせない。ピンと背筋を伸ばして、カップに珈琲を注いでいるからだろう。
 木製品で構成された店内は決して広いとは言えない。八脚のカウンターチェアー。二つある四人掛けのテーブルが並ぶ。客は一人しかいない。隠れ家というよりは、本当に珈琲を楽しむためだけの空間なのかもしれない。マスターの背後に並ぶ瓶。その種類の豊富さが物語っている。
(いいのかな)
 場違いに思えてならない。あの優女がいなければ、無言で引き返していただろう。楓も、夕映も同じようなことを考えたに違いない。エリザベート・D・タルボットが奥のテーブルに座っているのを発見しているのに、誰も足を動かそうとしない。
「こっちよ」
 笑みを浮かべ手を振るエリザベート。行かざるを得ない。余計な緊張感まで背負って明日菜は彼女の前に進み出た。その緊張はすぐに店内に拡がる。注文を届けようとしていたマスターが歩みを止め、怪訝な顔をするが、スーッと瞳から意志の力が消えたように見えた。
「心配はしないで。これからする話は部外者に聞かれる訳にはいかないから、協会の方も平気よ」
 時間はあったからと、エリザベートが席を勧める。となりにあった椅子を通路側に出し、テーブルの横に配置した。そこには楓が座り、奥に明日菜が、万が一の時、いの一番に逃げられるように下座には夕映が座った。
「それにしても三人だけなのね。みんなで来てもよかったのに」
 好きな物頼んで、とエリザベートがメニューを差し出す。聞いたこともないな名前が並ぶ。お手軽な物から、目が飛び出そうになるほど高いものまであった。平時なら興味津々になってもおかしくないが、いまの明日菜にそんな余裕はない。
 だからメニューを横に置いて、いきなり本題に入った。
「私をどうするつもり」
 ぐっと噛み締めエリザベートを睨むようにしてみる。いざとなったら背後に置かれたパーティション代わりの観葉植物は武器に使えるだろうか。たしか鉢は焼き物だったはずだと考え、エリザベートを見る。彼女はスプーンを回す手を止めていた。瞬きだけをしている。どうにも反応がおかしい。
 ちらりと隣に座る夕映を見ると、彼女も考え込んでいた。なにか齟齬がある。
「そういう事ね」エリザベートが口許を隠して、肩をふるわせつつ、「それは勘違いよ。本心を言うとあなたに興味がない訳じゃ無い。でも私はなにもしないわ」
 私は、と言うところを強調した思わせぶりな口調に、明日菜は身震いした。じゃあ誰が、と質問する前に、
「その役目は、いえ権利があるのは千雨さんと言うことですか?」
 と夕映が答えた。
「あのね。千雨ちゃんにも私をどうこうする権利はないんだけど」
 淡々と進む会話に明日菜が身の危険を感じて、異を唱えるがそれは無視された。
「ええ、千雨が先に目を付けたから、だからって譲る必要は無いんだけど。私の立場上、正確には手出しが出来ないと言った方が良いわね。する必要もないんだけど」
 エリザベートがカップに口をつけた。この街に来てまともな珈琲にありつけたわ、と零して笑みを向ける。マスターは恭しく頭を下げたが、その瞳に意志が宿らず人形染みていた。
「それは千雨さんがなにかをするということを前提に引くと言うことですか?」夕映が言った。「もし千雨さんがなにもしなかったらどうなります?」
「もし千雨がなにもしなければ私がこの子を連れ去ったりするかって危惧しているの? それも心配無用よ。だって千雨がなにもしない訳がないじゃない」
 当事者を無視して続けられる話は、明日菜を不安にさせた。それほどまでにエリザベートは自信を持って発言している。
(え、なにそれ。もしかして私が知らない間に何かされているの?)
 膨らませなくていい想像が膨らんでいく。その機会はいくらでもあったように思う。隔離されたエヴァンジェリンの別荘など絶好のロケーションだろう。
(そう言えばエヴァちゃんも)
 自分の障壁が云々、不思議がっていた。彼女もこの力の事に興味があるのではないか。そんな二人が手を組めば……
(え、え? なに)
 覚えてないだけですでに何かされている可能性があるのではないか。その痕跡を探したくて仕方がないが、こんな場所で服を脱ぐ訳には行かず、指だけがそわそわと動き出す。
「ふふ」
 ハッキリと聞こえたそれに、びくっとなって明日菜は我に返った。ジッとエリザベートが自分を見つめている。さっきみたいな怖さはないが、鼓動が逸る。
「そうね。まずは簡単な紹介をしておくわ。名前は……もう一度言うけどエリザベート・D・タルボット、所属はプラハ。知っているかしら?」
 そんなこと唐突にいわれても明日菜には分からない。しかし、聞いたことはある。なんだったか、思い出す前に、夕映が声を張り上げた。
「プラハとは、チェコスロバキアのプラハですか?」
「ええ、その様子じゃ分かったみたいね」
「はい、するとあなたは錬金術師ということですね?」
「ええ、そうよ」
「なるほどだからですか……。すると千雨さんも……、だからしない訳がないですか。なるほど理解しました。本当に居たのですね。いえ、実在がどうかと言うよりは、錬金術師とは本当に魔法使いだったのですか、と驚くべきなのでしょう」
 夕映が眼を輝かせている。なにか入れなくて良いスイッチが入ったみたいだ。全く意味が分からない明日菜は、目を白黒させることしか出来ない。それでも、
(千雨ちゃんも?)
 と思考を巡らせるが、次々と話題が切り替わっていき、集中出来なくなる。
「そんなに驚かれると思わなかったわ。この国で魔法使いに関わりを持つなら関西呪術協会の存在は知っていて? 彼らだって元は国家機関だったはずよ」
「た、たしかに日本にも陰陽寮という組織が明治以前にはありました」
 夕映が感銘を受けたのか、何度も何度も頷いている。話が弾むのはいいのだが、明日菜はただただ視線を泳がせる。自己完結しないでちゃんとした欲しい。楓を見ると、彼女も彼女なりに話を理解しているようだ。
(もしかして分かってないの私だけ?)
 明日菜がおろおろし出す。同じバカレンジャーなのに、と言った具合だが。しかし、居残り勉強の時最後まで残っていたのはいつも自分だったことを考え見るとこれはこれで妥当なのでは無いだろうか。
 そんな一人置いてけぼりを喰らった明日菜は、エリザベートに見透かされていた。
「錬金術っていうのはね。そうね。ポピュラーなのを簡単に言うと卑金属から貴金属を作り出そうと試みる事よ。もっと簡単に言うと鉄を金にしてしまおうってことね」
「本当にできるのですか?」
 夕映が食いつく。エリザベートはソーサーに置かれたティースプーンを、行儀悪く咥え、ゆっくりと飲み込んでいく。そして巻き戻しを見ているかのようにするすると出て来たスプーンは、
「はい、本当はこんな下品なやり方をしなくてもいいんだけど、これなら魔力を探知されないから」
 黄金に輝いていた。明日菜はそれを手にとってまじまじと見る。魔法だと意識してもその輝きが損なわれない。
「と言っても、こんなのは錬金術のほんの一部に過ぎないのだけどね。千雨の近くに居るあなたたちだったら、なにかその片鱗に触れていると思うけど、目にする機会はあったんじゃないかしら? 魔法と知っていても不思議な事が……」
 それが呼び水となって記憶を喚起された。特に明日菜はそれを目の前で見ている。首を断たれても平然と動けたのは、その錬金術とやらのおかげなのだろうと。
(そう言えば小太郎の腕の治療も……、エヴァちゃんは知ってたんだ。だから術の解き方を考えろって……)
 なんとなくだが納得がいった。正体不明のクラスメイトの事が少しは解ったような気がする。
「ようはあなたも千雨ちゃんも魔法の研究者って事で良いのよね?」
 そして、ネギ達とはまた違う魔法使いの在り方。
(うん、千雨ちゃんは確かに違う)
 どちらかというとエヴァンジェリンに近い。彼女の本質が、ネギが言っていた魔法使いたちが指標とする立派な魔法使いとかそういう類の魔法使いではないのは明らかだ。そして、これまでのやり取りがいろいろと繋がった。なぜ口籠もったのか。
「こことは違う魔法使いの組織があるのね」
「そして、その仲が決して良くないと言うことです」
 自分達の口から関東魔法協会、しいては魔法界に千雨の事が漏れる事を優女は危惧したのだ。
「ええ、そうよ。だから私があなたに対して何もしないと言うことは理解して貰えたかしら? 千雨と同じ組織に所属し、いずれはその研究成果が発表されるのを、私は待てば良いのよ」
「ま、まあ分かったわよ」
 ただ時間を先延ばしされただけのような気もしない。これから何かの実験に参加させられるのが確定しているような物言いには納得しかねるが、これ以上話を膨らませたくない。その当たりは千雨に直訴するべきなのだろう。
「でも千雨ちゃんが、そのプラハに居たってことは? 外国よね。え、でも……あ、そうだ。どっかで聞いたと思ったら、この街のモデルにもなっているのよね」
「そうね、でも別に千雨がプラハに住んでいた訳じゃないわ。所属しているよ。プラハの錬金術師として名を連なっているって事。その事で私も聞きたいことがあるのだけどいいかしら?」
「その前に、いいでござるか?」
「ええどうぞ」
 とエリザベートが楓に発言の機会を譲った。
「聞いているとあなたの組織において千雨殿は相当に優遇されているように感じるのでござるが」
「ええ。うちは選民的な意識が強くて閉鎖的なんだけど、それでも新しい才能は積極的に中に入れるの。そして中に入ってしまえば歴史よりも実力がものを言う場所なのよ」
 なるほどと楓が頷く。明日菜も納得だ。そして希望が見えた。そんな千雨が実験したら駄目だと、約束、いや宣言してくれれば、彼女達は手出ししないかも知れない。そんな事を考えていると、
「では今も変わらずプラハでは、王様が目に付いた賢人を集められているのですか?」
 ひもとかれようとしている隠された歴史に、夕映は興味深そうだった。
「そうね。でもいまは会員が推薦するって形になっているのよ。そして一定の同意を得られれば、晴れてプラハの錬金術師を名乗れる。簡単なようだけど簡単じゃないのよ。半世紀ぶりかしら。それなのに千雨たったら関東魔法協会に所属しているって言い出すし……」
 明日菜はとても身近に感じた。似ている。修学旅行で京都を訪れた時に勃発した近衛木乃香を巡る戦いは、まだ一ヶ月も経っていない。その際、桜咲刹那から聞いた。自分は裏切り者として、向こうでは認識されていると。
「千雨ちゃんに何かするつもり?」
「しないわ。ただ話を聞きに来ただけだから安心して。敵地とも言える場所で魔法使いってばれたから」
「あの」
 と話の途中で夕映が割って入った。
「仲が悪いにしても、敵地というのは表現がきついのではないですか? そもそもどうして仲が悪いのですか?」
「私達が招集された時期は、魔女狩りが横行していたのね。今でこそペテン師呼ばわりして、その存在が隠されているけど、その時代、私達は表舞台に立ったのよ。当然、魔法使いは本当にいるとなると、魔女狩りに拍車をかける原因となってしまってわよね。でも矛先が向けられたのは、当事者である私達じゃなかった。後々調子に乗った魔女狩り連中と周辺諸国が手を組んでいろいろやらかしてくれるんだけど。初めは魔法界側の魔法使いに向けられたの。その遺恨が今も残っているのよ。だから正体を誤魔化そうとしているんでしょうね。針のむしろでしょ。こっちに一言言うぐらいの配慮は持っていてくれたら、良かったんだけど、そうしたらわざわざ足を運ぶ必要もなかったのにね?」
 ねの部分を強調してエリザベートが言葉を句切った。確かにと明日菜が返す。
「それにしても千雨も良いお友達を持ったわね。そこまで心配してくれるなんて、学校では千雨はどんな様子なの?」



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