千雨と蟻と小銃と 38-7


 チラチラと鬱陶しい視線を向けてくる女子学生達に微笑みながら、エリザベート・D・タルボットは券売機に向かった。悪目立ちしたのは反省しなければいけないが、なかなか面白い邂逅だった。
(これはさっさとこの地を離れた方が良いわね)
 出来るならプラハに戻りたい。しかし勘が告げるのだ。いつでも駆け付けることが出来る距離にいるのが吉と。
 だったらホテルに戻り、事態を見守りつつ、術式を組んでいよう。理屈は理解した。すぐには転用出来ないが、なかなか面白い。ああいった発想はまず出来ない。必要が無いからだ。
(でもその前に挨拶ぐらいはしておくべきか? それとも知らない振りをしてすれ違うべきか?)
 改札口を抜けてくる一団を横目にする。新見慎吾が何事も無く返されたから、意を決したのだろう。それでも緊張感が隠しきれていない。先ほど様子を見に来た少女も、年からするとなかなかの腕前だったが甘い。
(魔法使いじゃなさそうだけど)
 周囲に紛れていた。初めて見たがきっと忍とかそういった部類の人間だろう。腕は良い。それは間違いない。ただ、密かにとか、隠れるとか、そんなニュアンスとはかけ離れているのではないだろうか。笑いを堪えるのが大変だった。
(発育が良すぎて可哀想ね)
 一般人を装っているが、溶け込めていない。いやでも目に付き、見てしまう。すると解る者には解ってしまうだろう。
(大変ねお守りは)
 本当にチグハグな集団だ。意識しないことを意識しすぎているのが若干名。いやでも自分を異様に警戒しているのが解ってしまう。
(すると魔法界とは関係が無いけど、魔法には関係している。千雨とも関係があるようだし)
 彼女達の警戒は、鎖国に起因するものだろうと当たりをつける。たしかに厄介事以外のなにものでもない。そこから推測するに、この都市においてはさして珍しくは無いが、何者か察しの付く異国の女はさぞ恐ろしいだろう。
(ここは気を遣って、素通りしてあげようかしら)
 そう言えばとエリザベートが思い出す。この国には魔法界の設立以前から呪術を芯とする集団があった。彼らにとってもこのたびの件は迷惑以外のなにものでもないはずだ。
(やっぱり纏める人間が必要ね)
 表情に出さずにほくそ笑む。それには自分こそが相応しい。
『よし帰ろう』とエリザベートが一歩踏み出したが、止まった。横を劣りすぎる少女には見覚えがあった。
(あら? たしか雪広の)
 直接の面識はないが、長女に似ている。
(他人の空似って事は無いでしょうし、次女かしら。千雨の同級生と考えると、う~ん、千雨の正確な年齢を知らないけど、額面通りなら合致する、か)
 ここでうだうだ考えていても仕方がない。話しかければすむことだ。いまにも足早に過ぎ去ろうとしている。緊張の糸が張り詰めすぎている者がいるのには懸念を覚えるが、騒ぎにはならないだろう。
 そうして、エリザベートは大股で近づいた。自然な動作でサイドポニーにした少女が割って入る。なんとも日本人らしい少女が「せっちゃん」と心配そうに呟くのを聞き漏らさない。それに呼応して少女の腕に力がこもった。
(釣り竿って訳はないわよね。厚みもあるし、日本刀ってやつかしら? でも長いわね)
 今にも抜刀しそうだ。千雨の知り合いだろうから、エリザベートは手を出すつもりもない。出すつもりならすでに終わらせている。だからそんな悲痛な覚悟を見せなくてもよかった。
(さっきの忍者の子もそうだけど、そんなに露骨に長い武器を携帯して大丈夫なのかしら、どこかずれてるわね)

 もう遅いかも知れない。何事も無く過ぎ去ろうとした矢先、優女が踵を返した。間に立ちはだかった桜咲刹那が顔を強張らせている。長瀬楓が速くと急かして友達を逃がす。神楽坂明日菜も最後尾で改札を抜けるが、強烈な視線に身体を射貫かれ、動きを止めてしまう。
(な、なに……)
 目を合わせてはいけない。そう理解していても顔を向けてしまった。
(す、すっごい見られてるぅ!!)
 くだんの女が目を剥いていた。間に立っているはずの桜咲刹那がいないものとして扱われている。いまにも斬りかかろうとしているのに、それほどまでの視線を向けていた。
(え、え? なに、なんで――ッ!?)
 混乱の極みに達しようとした明日菜だったが、その答えがふっと降りてきた。自分の体質だ。何かをしたに違いない。そして魔力無効化能力を知ったのだ。魔法使いに体質のことが知られた場合の注意が、走馬燈のように脳裡を過ぎるが、
「こんにちは」
 と絶妙なタイミングで声をかけられ、無理矢理、我に返らされた。心の準備がまだ済んでいない肉体が震えだす。考えている場合では無い。逃げるべきだ。しかし足が動かない。
 なぜなら――すぐ目の前に立っていたから。
 いつ目の前に移動したのか解らなかった。桜咲刹那も見えなかったのだろう。肩越しに振り返り、ただただ驚いている。それは長瀬楓も、古菲も同じだった。
「ふ~ん、なるほどね」
 しげしげと前から横から舐めるような視線を送ってくる。そしていまにも額が付きになるほどに、顔を近づけてきた瞬間、全身に鳥肌が立った。優女は朗らかに笑みを浮かべているが、これは違う。皮一枚引きはがさなければ本当の顔は見えない。一度経験しているからこそ解る。脅える自分を鏡のように映す瞳が千雨と重なる。足首に巻いた魔法のアイテムを作る時に覗かせたそれと同じものだ。クラスメイトとは違い笑みを浮かべているが同種のもののはずだ。
 そして、あの時、心の底から理解した。魔力無効化に興味を持った魔法使いに捕まった時、どんな扱いを受けるか。まさに今がそれが現実のものとなろうとして――
 恐怖に喚起される。声にならない悲鳴と共に明日菜は飛び退いた。ポケットに手を突っ込むが、ない。焦りが思考を鈍らせた。仮契約カードは、万が一の時、動かぬ証拠となるからと、部屋に置いてきたのだ。その事に気づけず、両手が右往左往する。
 そんな明日菜の代わりに、刹那が、楓が、古菲が動いた。場所は駅前、戦いの場とするにはあまりにも不適切。だが明日菜の尋常でない悲鳴に、刹那と楓が得物に手をかけた。
 古菲が誰の目にも明らかなほどに気を練り込み、足を踏み鳴らす。刹那と楓がそれに合わせて動くが、
「そう言うことは止めておかない?」
 優女が降参を表すように胸の位置で掌を見せた。すでにスタートを切っていた三人は、皮一枚と言ったところで拳を、刀を、クナイを止めていた。否、自らの意志で止めたものでは無いだろう。玉のような汗が噴き出している。
「ごめんなさい。ちょっと珍しいものが見られたから、少し我を見失ったわ。あなた達をどうにかしようって他意はないから」
 言い終わったと同時に三人が、膝をついた。肩で息をしている。心配して誰か声を挙げるなり、駆け寄るなりしてもおかしくないが、近寄れなかった。
 異常だ。ひしひしと感じていたが、これは異常だ。
(千雨ちゃんみたい)
 心を読んだみたいに、優女が微笑を浮かべて、三歩下がった。
 沈黙――
 空気は軽くなったが、誰も気が抜けない。それでも、
「あ、あんた、いったいどこの誰よ?」
 どうにか明日菜は、声を絞り出した。その声が震えていたのは仕方がないことだろう。強く握りしめすぎた手は血の気を失って真っ白になっている。初対面の相手に対して失礼な文言だが、そこまで考えている余裕は彼女にはない。当事者なので、この優女の言葉を鵜呑みにする余裕がないのだ。
 息苦しい。緊張感が増していくばかりだ。そんな難しい質問をしたつもりはないのに、時間が掛かりすぎている。眩暈までしてきて明日菜がヒステリックに叫んだ。
「誰かって聞いてるのよ!」
 優女は逡巡している。ますます怪しく。明日菜が勢いだけで叫んだ。
「名前も言えないの!!」
「そう言う訳でもないんだけど……ね」
 歯切れが悪い。視線を彼方に投げる。その方向が自分達の住む寮だと明日菜は気付かなかった。
「後で何を言われるか分からないけど仕方がないかしら……」
 誰にと言った質問を繰り出す前に、優女が視線を戻す。
「だけど、あなたの質問に答える前に一つだけ聞かせて頂戴。長谷川千雨からどこまで聞いているかしら?」
 その名前には安堵させる力があった。明日菜は思わずほっとなる。鵜呑みに出来ない筈なのに、納得出来るのだ。これは長谷川千雨の知り合いだと。
「どこまでって……」
 だからだろう。明日菜の声にも柔らかさが戻ってきたのは。こういうやり取りは自分の領分では無いと自覚している彼女は、助けを求めようとして友達に向き直ろうとして、あることを思い出した。今日、まさに学校で話していた話題だ。それが丸々当てはまるような気がする。
「千雨ちゃんが麻帆良に来る前まで、どこでどんな事をしてきたのかってこと?」
「あら察しが良いわね。ええその通りだけど、その様子じゃ何も知らないようね」
 千雨の過去を知るという優女は、複雑な表情を浮かべた。それには綾瀬夕映が、間髪入れずに鋭い質問を繰り出す。
「そんな質問をすると言うことは、あなたが名を名乗ることで、千雨さんがなにかしら不利になるということですか?」
 明日菜が固唾を呑んだ。やけに大きく聞こえたそれに鼓動が逸る。彼女はどう答えるのだろう。
「ちょっと待って」
「何よ」
 話題を変えるつもりかと明日菜は身構えた。
「こんな所でいつまでも立ち話していて良いの?」
「へ? あ!?」
 明日菜が、刹那が、楓が、古菲が周囲に目をやる。他の面子も同じように辺りを窺ったが、自分達以外人っ子ひとり居ない。当然の配慮だ。そしてこれがどんな力によって行われているのか自分達はよく知っている。そしてこの街がどんな状況にあるのかも。
「この警戒態勢で魔法を使ったから魔法使いが様子を見にやってくるかもしれないわね」
 明日菜は血の気が引く音を聞いた。
「ちょ、どうしよ」
 急いでこの場を立ち去らねばならない。見ると優女が踵を返し、駅前の小さな喫茶店を指差した。
「あの店で良いわ。中に入って話さない? もし私たちに興味があるならだけど」
 そう一方的に告げると、答えも聞かずに歩き出す。その後ろ姿はどこか自信に満ちあふれてみえた。なのに、
「あ、そうだ」
 と足を止めて、振り返った。
「名乗っていなかったわね。私の名前はエリザベート・D・タルボット。よろしくね」
 それだけ言うと今度こそ立ち去った。散々勿体付けたような感じがしていたのに、こう簡単に名乗られて拍子抜けして、ただただ茫然と見送った。
「ね、ねぇ誰か知ってる?」
 知る訳がない。よく考えるまでもなく自分達の魔法関係の知識は知れている。この中で一番それに精通して居るであろう刹那に視線が集まるが、彼女とてその畑は日本の剣術と呪術が基礎だろう。すると、夕映となるのだが、彼女とてアーティファクトがなければ、みんなと大差はない。
「そんな事よりもいまは早急に場所を変えた方がいいでござる」
「それもそうね」
 ひとまず駅から離れることにした。交通量も多くない駅前の信号を無視して道路を渡ろうとしたが、ゆっくりと向かってくる乗用車が目に入った。
「みんな止まって警察よ」
 明日菜の足が止め、息を呑む。一番大きな楓の陰に隠れている。
(気付かれてないわよね)
「ど……」
「シッ!!」
 運転手の眼は駅のホームに向けられているようで、自分達には注目していない。じっくりとゆっくりと見て、通り過ぎるとスピードを上げた。
「誰かを探していたようですが」
 刹那が言った。明日菜もそう感じた。自分達ではない誰かを探しているようだった。
「さっきの昨日話した警察官をやっている魔法使いだった」
「エリザベートという女性でしょうか?」
「わかりませんわ」
 考えたところで答えなどでないだろう。むしろここでたむろする方が危険だ。ひとまず動くことにした。
「それでどうしますか」
 刹那に問われる。
「え、私?」
 明日菜が自分を指差すと、刹那が頷いた。
「どうするって言われても……千雨ちゃんの知り合いって事は間違いないと思うけど……」
「千雨ちゃんの事を知るチャンスやけど……」
 木乃香の呟きに明日菜が同意する。これまでもたびたび話に上がっている正体不明のクラスメイトに興味がない訳がない。しかし、危険ではないだろうか。
「あの~」
「なに本屋ちゃん」
「興味があるとかないとかを抜きにしても行かないという選択肢はないと思います」
 なんで、と質問を挟む前に、雪広あやかが答えた。
「そうですわね。明日菜さんの体質を彼女は知ってしまいました。このままなにも話さずに別れたのでは……」
 あやかが悔しそうに唇を噛んだ。明日菜も同じように苦虫を噛み潰す。そうだった。知られてしまった。もう引き返せないところに居る。たぶんあの優女もそれが解っていたのだろう。
(だからあんなに自信満々だったんだ)



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