千雨と蟻と小銃と 38-6
(どうしようかしら)
顔が醜く歪んでしまう。白のワイシャツと黒のパンタロンでビシッと決めた優女は、怖さも人一倍だった。視線は、徒歩十分ほどの所にある広大な敷地に建つ建物を睥睨している。時間帯が時間帯、そしてこの辺りが学生寮とそれを目当てにした店舗だから良かった。目撃者は片手で数えられるほどだ。しかし、こういう所があるからすんなりと跡目を譲って貰えないのかも知れない。理解してはいる難しい。
(これは千雨に会ったら駄目って事なのかしら?)
静観しているつもりだったがエリザベート・D・タルボットは、昨日の今日で麻帆良の地を踏んだ。今日の運勢を占ってみたら良くないものが出た。何が起因しているのか、それを探ってみるとどうやら盟友、長谷川千雨に何かが起きているようで、様子を見に来たのだ。
(学校は休んでいるのかしら?)
いまの麻帆良で露骨に魔法を使うべきでは無い。やり過ごす自信はあるが、安全を優先し、勘を頼りに電車を乗り継いできたのだが、どうやら彼女は住居である寮に居るようだ。気兼ねなく話が出来るので、好都合と言えば好都合なのだが、ここまで来て足が動かなくなった。
だから、こんな道のど真ん中で腕組みし、顔を醜く歪める。外見を取り繕っていられないほどに。
(行くべきか、行かざるべきか)
電車のブレーキ音が響く。迷うなら帰ろう。千雨なら放っておいても大丈夫だ。なのにそれはそれで胸騒ぎがするのはどうしてだろう。介入した方が良いような気がする。しかしそうすると自分も命をかけなければいけないような気がして……
(相変わらず質が悪いわね)
行くも地獄、引くも地獄とは、一体どう言うつもりだ。いや、まだそうと決まったわけではない。たしかに占いの精度には自信がある。得意な魔法と相俟ってかなりの的中率を見せるが、それでも絶対と言う訳ではないのだから。なにより名が廃る。エリザベートは大きく息を吸い込み、身体の隅々まで酸素を行き渡らせる。そして、盛大に吐き出した。呼気は黒く澱んで見える。表情から険が取れる。わだかまりを吐き出し、次期盟主に相応しい顔つきを取り戻し、踵を返そうとしたが、
(あら)
ひとりの男性に眼が止まった。日本人にしては大柄、カーゴパンツにサバイバルブーツがよく似合っている。相当に鍛えられていた。フライトジャケットの上からでもわかるほどだ。安直だが、首からカメラを提げていることからカメラマンだろうか。とエリザベートは当たりを付ける。
(ふ~ん)
電車にのる用事はないのだろう男が素通りしようとする。興味深い。それなりの修羅場も潜っているようだ。なにより……
(なるほどね)
ねっとりと舐めとるようにじっくりとつま先から頭の天辺まで斜視した。そこまであからさまな視線には男が足を止めない訳がなかった。
「どうかしましたか?」
しかし対応はいたって柔らかだった。しかしエリザベートは見逃さなかった。そこからあるかないかと言った微細な緊張感が漂っていたのを。そして自分がなんなのかこの男は理解したことを理解した。
「いえ、ごめんなさい。なかなか面白い顔をしていると思って」
なんとも失礼な物言いにも男は苦笑を浮かべるだけで、頭をかいた。本当は相と言った方が正しいのだが、自分から魔法使いだと暴露する必要は無い。
「ええよく言われます。自分としてはチャームポイントと思っているのですが、麻帆良には観光で?」
「いえ、仕事で少しの間、日本に滞在することになりまして、その合間を縫って旧友に会いに来たのですが、時間が時間なので散歩がてらに、街並みを見て回ってたんです」
「そうだったんですか」
男が腕時計を見た。エリザベートも改札に掛かった時計を見る。時刻は三時半を少し回っており、改札は人でごった返していた。
「もう少し時期がずれていれば世界に名高い麻帆良の学園祭も見物できたのですが、それが残念です」
「ああ、来月の頭に開催されますね。ただ今年は開催されるかどうか……」
当たり障りのない会話を、自然とこなしていく男に、エリザベートは内心、感心していた。逃げ出したいはずだ。自分との相性が悪いはず。
「事件が起こっていますものね。しかし日本の警察は優秀だと聞きます。大丈夫では無いですか?」
こんな事を問いかけられて何を思う。この男は気が付いているはずだ。
「どうでしょう。これほどの事件が起きることが稀ですから、あ、そうだ。自己紹介が遅れました。新見慎吾と言います」
差し出された手を見てエリザベートは、笑みを消した。
落ち着かない。電車の揺れはいつもと変わらないはずなのに、神楽坂明日菜は足を取られそうになった。立つというわざわざ意識する必要もない動作を上手く行えない。それは常に意識が周囲に向けられているからだ。学校を出てからずっとこうだった。なにもないところで躓きそうにもなった。
(居ないって分かっているんだけどな)
すべてあの本国からきたと言う査察官のせいだ。電車の中は学生で溢れている。時間帯を考えれば不自然、しかし来週にテストを控えたこの時期なら見慣れた光景だ。部活動も中止で、学校が終わるとテスト勉強に励むために家路につくものが多く、その中からいつあの気味の悪い男が、蛇の様にぬるりぬるりと姿を現すかと思うと注意せずにはいられないのだ。
「今年はなにをするの?」
明日菜がちらっと視線を飛ばす。何の事はない隣のクラスの子達だ。
「先輩は喫茶店とかで一山当てるって……」
意気込んでいるらしい。 聞き耳を立てるつもりは無いのだが、彼女達の会話がどうにも耳に入ってくる。いや彼女達の会話だけでない。周囲でされている話のひとつひとつに反応してしまう。誰も彼も、中間テストが終わったら訪れる学園祭が話題だと分かっていても。
本当に羨ましい。なんの憂いもなく来るこの一大イベントに挑めるなんて……、同時にそんな彼女達が腹立たしく思う自分も居る。
学校内でもそうだった。クラスでも、真実を知らない者達は一様に彼女達のように浮かれている。開催が危ぶまれたが、どうにか事件は終息に向かっている。これなら開催されるのでは無いだろうか。そんな楽観的空気を感じる。それも仕方がないことなのだろうが、どうにも……
明日菜は小さく頭を振った。これは只のねたみだ。自分はこんなに弱かったのだろうか。この件では必要以上に不安になっている節がある。どこか引っ掛かるのだ。似たような事があったようで……
「明日菜殿」
思わず飛び上がりそうになったが、身体は微動だにしない。いま自分が置かれている立場が、悪目立ちをさせまいと身体を縫い止めてくれた。
「もっと力を抜いた方がいいでござる。それではこれから先、持たないでござるよ。周囲の警戒は拙者達に任せて」
分かっている。学校で話し合った。桜咲刹那、古菲、そして声をかけてきた長瀬楓が行き帰りの警戒を受け持つと。それでも意識せずには居られないのだ。
近衛木乃香が目に入った。その横には綾瀬夕映と宮崎のどかが立っている。会話もなく若干顔を青くしている。自分もきっとそんな顔をしているのだろうが、きっと彼女達よりはマシである。
(村上なんか死にそうだし)
いつの間にか巻き込まれ、あれよあれよと関係者として扱われている極々普通の女の子は、那波千鶴に寄り添っている。
(しっかりしないと)
そうこんなのは自分らしくない。当たって砕けろ的な面が強かったはずだ。例外は高畑・T・タカミチに関することだけで……
(ネギは当てに出来ないし……)
関東魔法協会とは表だって自分達は関わりはない。だからこそピンチを招いているのだが、危なそうな人に追い掛けられたからと、逃走することは出来る。しかしネギ・スプリングフィールド、彼の立場は違う。彼は本国の査察官から取り調べを逃れる術がない。召集されれば、自ら出頭しなければ行けない。もしそんな事になったりしたら……。
ネギもその事で頭がいっぱいなのだろう。今日の授業は痛々しいものだった。この事態の一端を招いた責任に押しつぶされそうになっている。どこか身体の調子が悪いのでは無いか知らない者が心配するほどに憔悴していた。
誰かに相談すべきだ。しかしその伝手がいまはタカミチと学園長ぐらいしかない。しかも下手に彼らと接触すると、自分の首を絞める結果になるかも知れない。手ぐすね引いて待っているかも知れないのだ。なにせ敵は心を読めるかも知れないのだから。
「次は~」
車内アナウンスに身構えたが、身体が押し流されるような感覚にたたらを踏む。プシューと音を立ててドアが開く。ここから先、どこから蛇が出てくるか分からない。出会えば終わりだ。
(お腹痛い。ハマノツルギで頭ぶっ飛ばしたら記憶を失わないかしら)
本気で打っ叩けば可能なのではないかと思えてくる。そんな誘惑を明日菜は頭を振って払いのける。そんな都合良く行く訳がない。これまで誰の記憶も飛んでない。きっと待ってましたと拘束されてしまうだろう。
(ああ、もう!!)
これまでもいろいろあったが、これほどの敵はいなかった。こういう搦め手で来る敵と戦うのは初めてと言ってもいい。単純に暴力で解決できる問題のなんと優しいことか。痛みに耐えれば勝機が掴めることが出来るが、この様な戦いでは、なにひとつ自分達の力が通用しない。
(どうしろっていうのよ)
下手に考えて実行するより、忠告通りに大人しくしてるのが吉なのだろう。しかし問題が解決するまで自分の胃と精神が持つかどうか。
「居ないようですわ。皆さん気をしっかり持って、行きますわよ」
刹那が合図している。雪広あやかが先陣を切りホームに下りた。後に続くクラスメート達が電車を降りる時、一瞬の躊躇いを見せる。
いずれ自分の番も来る。明日菜は最後尾で車内を見回した。利用客のほとんどが下りてしまっている。ここで下車するのは自分達が最後の様だ。最後尾に陣取る車掌と目が合った。下りるのか下りないのか決めてくれと、そろそろ出発の時刻なのだろう。
「明日菜殿」
楓が心配そうに顔を覗き込んでいる。
「大丈夫よ」
このまま乗り過ごしては、それだけ危険が増す。寮内に篭もっている方が安全だろう。あと十分足らずの我慢だ。
明日菜も意を決して、ホームに降り立った。後ろでドアの閉まる音がして、安全は確保されているはずだが、電車を見送り、利用客の居ない向かいのホームを眺めてしまう。
「おかしいでござる。何でござろう」
楓が言った。
「本当ね。機械トラブル?」
改札口が人でごった返していた。いつものことだが、それでも妙に人捌けが悪い。機械のトラブルか何かだといいのだが、普段との違いに緊張が増していく。
「なんかねぇ」
朝倉和美が駆け足で戻ってきて疑問に答えた。
「駅の前で話している男と外国の女性が話しているのが原因みたい。その女性の方がスッゴイ美人で、みんな足を止めちゃうみたい」
和美の手にはカメラが握られていた。こんなご時世なのに彼女はいつもと変わらないのか。それともやせ我慢か。
だがいまはそれが有り難い。そんな彼女を見ていると自分がしっかりしないと思えてくる。
「そんなになの?」
明日菜が話に乗って、どうにか見えないものかと背伸びする。しかし見えない。人垣が邪魔だった。代わりに、
「でもごめんなさい。貴方とはこれ以上、縁を持たない方が良さそうだから、名前は教えられないわ」
遠くて聞こえないはずのその声を、異常なまでに高まった緊張感とこれまでの修練が拾ってしまった。
「なんだ。ナンパか」
だったら駅員辺りが注意してくれないかしら、とぼやいた。こんな所でもたもたしている場合では無いのだ。道を空けて欲しい。しかし、
「でもせっかくこうして出会ったことだし、一つだけ助言してあげる。それを過信しない方が良いわよ。私クラスを相手取るにはいささか荷が重いから、気を付けないと怖い鬼と遭遇してしまうかもね」
それは戯れか、風が運んできた会話に明日菜は息が詰まった。意味は分からない。意味は分からないが鳥肌が立った。この声の主は普通じゃない。会話のないようも尋常でないと理解できてしまう。
「魔法使い」
それが駅の前にいる。何の目的で……
隣に立つ楓を見ると、彼女は頷いた。同じ結論に達したのだろう、
「見てくるでござる」
と人混みの中に姿を消した。
静観しているつもりだったがエリザベート・D・タルボットは、昨日の今日で麻帆良の地を踏んだ。今日の運勢を占ってみたら良くないものが出た。何が起因しているのか、それを探ってみるとどうやら盟友、長谷川千雨に何かが起きているようで、様子を見に来たのだ。
(学校は休んでいるのかしら?)
いまの麻帆良で露骨に魔法を使うべきでは無い。やり過ごす自信はあるが、安全を優先し、勘を頼りに電車を乗り継いできたのだが、どうやら彼女は住居である寮に居るようだ。気兼ねなく話が出来るので、好都合と言えば好都合なのだが、ここまで来て足が動かなくなった。
だから、こんな道のど真ん中で腕組みし、顔を醜く歪める。外見を取り繕っていられないほどに。
(行くべきか、行かざるべきか)
電車のブレーキ音が響く。迷うなら帰ろう。千雨なら放っておいても大丈夫だ。なのにそれはそれで胸騒ぎがするのはどうしてだろう。介入した方が良いような気がする。しかしそうすると自分も命をかけなければいけないような気がして……
(相変わらず質が悪いわね)
行くも地獄、引くも地獄とは、一体どう言うつもりだ。いや、まだそうと決まったわけではない。たしかに占いの精度には自信がある。得意な魔法と相俟ってかなりの的中率を見せるが、それでも絶対と言う訳ではないのだから。なにより名が廃る。エリザベートは大きく息を吸い込み、身体の隅々まで酸素を行き渡らせる。そして、盛大に吐き出した。呼気は黒く澱んで見える。表情から険が取れる。わだかまりを吐き出し、次期盟主に相応しい顔つきを取り戻し、踵を返そうとしたが、
(あら)
ひとりの男性に眼が止まった。日本人にしては大柄、カーゴパンツにサバイバルブーツがよく似合っている。相当に鍛えられていた。フライトジャケットの上からでもわかるほどだ。安直だが、首からカメラを提げていることからカメラマンだろうか。とエリザベートは当たりを付ける。
(ふ~ん)
電車にのる用事はないのだろう男が素通りしようとする。興味深い。それなりの修羅場も潜っているようだ。なにより……
(なるほどね)
ねっとりと舐めとるようにじっくりとつま先から頭の天辺まで斜視した。そこまであからさまな視線には男が足を止めない訳がなかった。
「どうかしましたか?」
しかし対応はいたって柔らかだった。しかしエリザベートは見逃さなかった。そこからあるかないかと言った微細な緊張感が漂っていたのを。そして自分がなんなのかこの男は理解したことを理解した。
「いえ、ごめんなさい。なかなか面白い顔をしていると思って」
なんとも失礼な物言いにも男は苦笑を浮かべるだけで、頭をかいた。本当は相と言った方が正しいのだが、自分から魔法使いだと暴露する必要は無い。
「ええよく言われます。自分としてはチャームポイントと思っているのですが、麻帆良には観光で?」
「いえ、仕事で少しの間、日本に滞在することになりまして、その合間を縫って旧友に会いに来たのですが、時間が時間なので散歩がてらに、街並みを見て回ってたんです」
「そうだったんですか」
男が腕時計を見た。エリザベートも改札に掛かった時計を見る。時刻は三時半を少し回っており、改札は人でごった返していた。
「もう少し時期がずれていれば世界に名高い麻帆良の学園祭も見物できたのですが、それが残念です」
「ああ、来月の頭に開催されますね。ただ今年は開催されるかどうか……」
当たり障りのない会話を、自然とこなしていく男に、エリザベートは内心、感心していた。逃げ出したいはずだ。自分との相性が悪いはず。
「事件が起こっていますものね。しかし日本の警察は優秀だと聞きます。大丈夫では無いですか?」
こんな事を問いかけられて何を思う。この男は気が付いているはずだ。
「どうでしょう。これほどの事件が起きることが稀ですから、あ、そうだ。自己紹介が遅れました。新見慎吾と言います」
差し出された手を見てエリザベートは、笑みを消した。
落ち着かない。電車の揺れはいつもと変わらないはずなのに、神楽坂明日菜は足を取られそうになった。立つというわざわざ意識する必要もない動作を上手く行えない。それは常に意識が周囲に向けられているからだ。学校を出てからずっとこうだった。なにもないところで躓きそうにもなった。
(居ないって分かっているんだけどな)
すべてあの本国からきたと言う査察官のせいだ。電車の中は学生で溢れている。時間帯を考えれば不自然、しかし来週にテストを控えたこの時期なら見慣れた光景だ。部活動も中止で、学校が終わるとテスト勉強に励むために家路につくものが多く、その中からいつあの気味の悪い男が、蛇の様にぬるりぬるりと姿を現すかと思うと注意せずにはいられないのだ。
「今年はなにをするの?」
明日菜がちらっと視線を飛ばす。何の事はない隣のクラスの子達だ。
「先輩は喫茶店とかで一山当てるって……」
意気込んでいるらしい。 聞き耳を立てるつもりは無いのだが、彼女達の会話がどうにも耳に入ってくる。いや彼女達の会話だけでない。周囲でされている話のひとつひとつに反応してしまう。誰も彼も、中間テストが終わったら訪れる学園祭が話題だと分かっていても。
本当に羨ましい。なんの憂いもなく来るこの一大イベントに挑めるなんて……、同時にそんな彼女達が腹立たしく思う自分も居る。
学校内でもそうだった。クラスでも、真実を知らない者達は一様に彼女達のように浮かれている。開催が危ぶまれたが、どうにか事件は終息に向かっている。これなら開催されるのでは無いだろうか。そんな楽観的空気を感じる。それも仕方がないことなのだろうが、どうにも……
明日菜は小さく頭を振った。これは只のねたみだ。自分はこんなに弱かったのだろうか。この件では必要以上に不安になっている節がある。どこか引っ掛かるのだ。似たような事があったようで……
「明日菜殿」
思わず飛び上がりそうになったが、身体は微動だにしない。いま自分が置かれている立場が、悪目立ちをさせまいと身体を縫い止めてくれた。
「もっと力を抜いた方がいいでござる。それではこれから先、持たないでござるよ。周囲の警戒は拙者達に任せて」
分かっている。学校で話し合った。桜咲刹那、古菲、そして声をかけてきた長瀬楓が行き帰りの警戒を受け持つと。それでも意識せずには居られないのだ。
近衛木乃香が目に入った。その横には綾瀬夕映と宮崎のどかが立っている。会話もなく若干顔を青くしている。自分もきっとそんな顔をしているのだろうが、きっと彼女達よりはマシである。
(村上なんか死にそうだし)
いつの間にか巻き込まれ、あれよあれよと関係者として扱われている極々普通の女の子は、那波千鶴に寄り添っている。
(しっかりしないと)
そうこんなのは自分らしくない。当たって砕けろ的な面が強かったはずだ。例外は高畑・T・タカミチに関することだけで……
(ネギは当てに出来ないし……)
関東魔法協会とは表だって自分達は関わりはない。だからこそピンチを招いているのだが、危なそうな人に追い掛けられたからと、逃走することは出来る。しかしネギ・スプリングフィールド、彼の立場は違う。彼は本国の査察官から取り調べを逃れる術がない。召集されれば、自ら出頭しなければ行けない。もしそんな事になったりしたら……。
ネギもその事で頭がいっぱいなのだろう。今日の授業は痛々しいものだった。この事態の一端を招いた責任に押しつぶされそうになっている。どこか身体の調子が悪いのでは無いか知らない者が心配するほどに憔悴していた。
誰かに相談すべきだ。しかしその伝手がいまはタカミチと学園長ぐらいしかない。しかも下手に彼らと接触すると、自分の首を絞める結果になるかも知れない。手ぐすね引いて待っているかも知れないのだ。なにせ敵は心を読めるかも知れないのだから。
「次は~」
車内アナウンスに身構えたが、身体が押し流されるような感覚にたたらを踏む。プシューと音を立ててドアが開く。ここから先、どこから蛇が出てくるか分からない。出会えば終わりだ。
(お腹痛い。ハマノツルギで頭ぶっ飛ばしたら記憶を失わないかしら)
本気で打っ叩けば可能なのではないかと思えてくる。そんな誘惑を明日菜は頭を振って払いのける。そんな都合良く行く訳がない。これまで誰の記憶も飛んでない。きっと待ってましたと拘束されてしまうだろう。
(ああ、もう!!)
これまでもいろいろあったが、これほどの敵はいなかった。こういう搦め手で来る敵と戦うのは初めてと言ってもいい。単純に暴力で解決できる問題のなんと優しいことか。痛みに耐えれば勝機が掴めることが出来るが、この様な戦いでは、なにひとつ自分達の力が通用しない。
(どうしろっていうのよ)
下手に考えて実行するより、忠告通りに大人しくしてるのが吉なのだろう。しかし問題が解決するまで自分の胃と精神が持つかどうか。
「居ないようですわ。皆さん気をしっかり持って、行きますわよ」
刹那が合図している。雪広あやかが先陣を切りホームに下りた。後に続くクラスメート達が電車を降りる時、一瞬の躊躇いを見せる。
いずれ自分の番も来る。明日菜は最後尾で車内を見回した。利用客のほとんどが下りてしまっている。ここで下車するのは自分達が最後の様だ。最後尾に陣取る車掌と目が合った。下りるのか下りないのか決めてくれと、そろそろ出発の時刻なのだろう。
「明日菜殿」
楓が心配そうに顔を覗き込んでいる。
「大丈夫よ」
このまま乗り過ごしては、それだけ危険が増す。寮内に篭もっている方が安全だろう。あと十分足らずの我慢だ。
明日菜も意を決して、ホームに降り立った。後ろでドアの閉まる音がして、安全は確保されているはずだが、電車を見送り、利用客の居ない向かいのホームを眺めてしまう。
「おかしいでござる。何でござろう」
楓が言った。
「本当ね。機械トラブル?」
改札口が人でごった返していた。いつものことだが、それでも妙に人捌けが悪い。機械のトラブルか何かだといいのだが、普段との違いに緊張が増していく。
「なんかねぇ」
朝倉和美が駆け足で戻ってきて疑問に答えた。
「駅の前で話している男と外国の女性が話しているのが原因みたい。その女性の方がスッゴイ美人で、みんな足を止めちゃうみたい」
和美の手にはカメラが握られていた。こんなご時世なのに彼女はいつもと変わらないのか。それともやせ我慢か。
だがいまはそれが有り難い。そんな彼女を見ていると自分がしっかりしないと思えてくる。
「そんなになの?」
明日菜が話に乗って、どうにか見えないものかと背伸びする。しかし見えない。人垣が邪魔だった。代わりに、
「でもごめんなさい。貴方とはこれ以上、縁を持たない方が良さそうだから、名前は教えられないわ」
遠くて聞こえないはずのその声を、異常なまでに高まった緊張感とこれまでの修練が拾ってしまった。
「なんだ。ナンパか」
だったら駅員辺りが注意してくれないかしら、とぼやいた。こんな所でもたもたしている場合では無いのだ。道を空けて欲しい。しかし、
「でもせっかくこうして出会ったことだし、一つだけ助言してあげる。それを過信しない方が良いわよ。私クラスを相手取るにはいささか荷が重いから、気を付けないと怖い鬼と遭遇してしまうかもね」
それは戯れか、風が運んできた会話に明日菜は息が詰まった。意味は分からない。意味は分からないが鳥肌が立った。この声の主は普通じゃない。会話のないようも尋常でないと理解できてしまう。
「魔法使い」
それが駅の前にいる。何の目的で……
隣に立つ楓を見ると、彼女は頷いた。同じ結論に達したのだろう、
「見てくるでござる」
と人混みの中に姿を消した。