千雨と蟻と小銃と 32-4


 ベッドの上に腰掛けた近衛近右衛門がテーブルに置かれたノートパソコンに向かって、「では、なにか変化があったらまた連絡してくれ」と言いネット回線を切った。
(まずいのう。まず過ぎるのう……)
 そう呟き、用心のためにノートパソコンの電源も落とす。用心以上に魔力の補助がない今の近右衛門には画面を凝視するだけで年相応の疲労が眼に来ていた。ここ数日の激務により体力を消耗しきっているというのもあるが。そんな近右衛門が目眩にも似た感覚を覚え、目頭をきつく押さえ、ため息をついた。
(情報が入ってこんからどうなっておるのかもまったく分からんしのう) 
 神楽坂明日菜による一報以降、情報が皆無と言ってもいい。
 一報のあと近右衛門はすぐに協会を動かした。人員を向かわすのと同時に遠見の魔法を使用したのだが、その結果は惨憺たるものだ。
 遠見を行っていた術者達が一斉に昏倒したような状態になり、そのまま意識が回復していない。
 これには場が騒然とした。昨夜アナセスからもたらされた情報によって、彼らは自分たちに出来るありとあらゆる方法の防御術式を施していた。しかし結果はこれだ。それはすなわち犯人との接触が不可能だと言うことでもある。
 だから、急遽、森の中から逃がさない為の配置に変えた。周辺の一般住人に被害が出ないようにと……しかし、もし犯人が彼らの前に現れたとしたら、そこから先は想像したくない。
 誰も表には出さないが士気は最悪の状態にあるのを、近右衛門は感じ取っていた。
(せめてワシが魔法を使えたらのう)
 この状況すらあらかじめ仕組まれていたものではないかと思わないでもない。猟奇殺人が起きた日は同時にもう一つの事件が起きていた。
(裏で操っているのは同一人物……しかし、それはどうもしっくりいかんのう)
 脳裏に一人の生徒の顔が浮かぶ。要注意人物の顔が……。
(長谷川千雨君……か?)
 犯人の狙いが掴めない。殺され続けたのは協会の魔法教師だが本命は違うのではないか。別に狙いがあるのではないか。最初に犯行が行われた時、近右衛門は別の何者かの気配を感じた。そして、それを追跡しようとして逆に手痛い反撃を食らってしまいこうして病室にいる。
 その術者が今回の件に関係していると考えるのが自然な流れだ。
(あの時、長谷川君は危険を感じ無理をしなかったと聞いておる。じゃが相手はその機微を感知し、彼女を邪魔と判断したのかのう。だから狙われた?)
 誰でもない自分に問いかけるように聞いたが、どうも違うように思える。
(昨日の今日でネギ君を狙う必然性がないのう。同時刻に居たんじゃあの時点で決着をつけようとすれば決着はつけられておったはずじゃ)
 その通りと近右衛門が頷く。だが、そこで思考を止めるのではなくこの数日間の意味について推理を広げた。時間を取らなければ行けなかった理由を。
(術か……しかし、現状その意味が全くない)
 千雨以外は手も足も出ないのだ。用心に用心を期してとも考えられるが無意味だ。むしろ、時間を掛けることで対策を練られる可能性がある。
(それでもやらなければならない訳があったのかのう?)
 分からない。そして考えれば考えるほど核心から離れていくような感覚がした。
(ネギ君は今回の件には無関係……本命は協会かのう)
 違うような気がする。
(やはり……本命は長谷川君ということかの)
 憶測だが妙に納得が出来る。千雨について今分かっている情報が脳裏を駆け抜けた。
(京都の件か……、ワシの想像通りなら問題のひとつやふたつ抱えておっても不思議じゃないからのう)
 京都で彼女は別口の敵と戦いを繰り広げていたと報告を受けていた。その延長線上という事も十分にあり得る。
(その辺りの事をハッキリとさせたいのう。それにしてもこうも易々と中に入られ好きかってされては立つ瀬がないのう)
 表向き日本という国の中にある一都市でしかない。一般人を閉め出すなんて事は出来るものではないので侵入に関しては少し工夫すれば誰にでも出来る。ただ、ここで暴れるとなると話は別だ。ここまで表と共栄している都市は世界中を見ても珍しく、それ故に魔法使い達も質が高いものが配置されていた。
(首を断たれても生きているおる魔法使いと、そんな魔法使いに術を施す不死身の剣士と比べるのがそもそもの間違いか)
 近右衛門は首を切られても生きていられる魔法使いの名を上げようとして、即答できなかった。そして自嘲気味に笑って、 
(ケツをまくって逃げたいところじゃが、それでもやらなければならないのが組織の辛いところじゃて)
 眉間に深い皺を刻み、天井を仰いだ。眼を少し動かし目的のモノを見つけようとするが居ない。
(あちらも忙しいようじゃな)
 爺の相手などしていられないのだろう。主はいま死闘を繰り広げている筈なのだ。
(せめてワシが結界の中が覗けたら)
 近右衛門は関東魔法協会の長だ。政治も出来るが、魔法使いとしての実力も他の追随を許さない。本当なら近右衛門が相手をするのが妥当なのだ。
(詮無きことか……さて、なにも分からん状態では無駄に時間を使うだけじゃのう。さきに分かっておる問題の対処を考えるか)
 首が切り落とされても自力で治して戦いを続行する奇怪な魔法使いの情報は、必要最小限に留めることが出来たと思う。明日菜-タカミチ-近右衛門-協会と情報を伝達したからだ。ただ、それでも漏洩していると考えなければならない。タカミチから電話を受けたとき、背後に他の魔法使い達もいたのをマイクが拾っている。
 問題はそれを信じられるかどうかだ。
(ワシとてあれと結びつけられておらなんだら信じはせんわな) 
 首を切断されても生きている魔法使いなど、ほとんどの魔法使いはそんなのは明日菜の混乱による与太話だと思うだろう。
 理性的に考えて、分身体か幻影で事なきを得た、と落とし処を着けるはずだ。先の会議でもそんな話題は出なかった。
 だが、それでも協会が手も足も出ない相手と戦っているのが十四歳の魔法使いだということは知られてしまった。こればかりはどんな手段を用いても隠すことは出来なかっただろう。
(まずいことになったのう)
 千雨は協会側が正しく把握しきれていない魔法使いだ。京都の一件で魔法使いと把握し、その身元を調べた。これと言って怪しいところは――近右衛門の眼から見てあるのだが、それでも額面上、問題なしとして調査を終えた。しかし、ここまでの力を持つとなると再調査は行わなければならないだろう。そして聞き取り調査、査問会とまでは言えないがそういう場が開かれるのも想像に容易い。
(もう少し静かに戦えんもんかのう)
 軽率な行動とは言えない。いつどこで何時襲ってくるかわざわざ相手に伝える間抜けは居ないのだ。むしろ前日までの事件の結果から褒めなければならない。
(長谷川君だからこそまだ戦えておるということか……)
 ここまで来たら犯人を捕まえるのではなく殺して貰いたいもんじゃ、と近右衛門の口から本音が漏れた。年端のいかない娘にそんな事を望むのはどうかと思うがそれも仕方が無い。協会の魔法使いでは相手にならないのだから。
 ここで負けるなり、逃げるなりされると、その後に控えている協会の魔法使いたちが相手をしなくてはならない。結果は分かりきったものだろう。それでも犯人を追わなければならない。そして、最悪一般市民にまで被害が及ぶかも知れないのだ。
 それが阻止できるなら近右衛門は人殺しも容認できる人間だ。幸い今回は相手が化け物だと分かっている。たとえ人間でもなんの仮借も持つ必要はないだろう。
「そうじゃな。殺して貰ったほうが後腐れが無くなる。それならどうとでも理由がつけられるわい」
 そう、誰にも覗けない結界が張っているのだ。中で何が起こっているのか本人達にしか分からない。死人に口なし。そうなれば中で何があったのか真実を伝えるのは千雨しか居らず、いくらでも情報をねつ造できる。
「今の主流の魔法では無いことにすればいいだけじゃしな。うむ、この方が工作は簡単じゃ」
 独り言を呟きながら、近右衛門の目がチラリ、チラリと動き回る。口に付いた言葉をちゃんと拾っているのか、その相手を探しているのだ。
「……本当におらんのか?」
 居なくていい時には必ずと言っていいほど居るのに、肝心な時にはいない。
(嫌な予感がするのう。修学旅行の二の舞は勘弁じゃぞ)
 とは言うものの金で済むならその方がマシと思えた。
(本当に無駄死させんで済むならのう)
 近右衛門は目尻を軽く揉むと水入れを手に取った。喋り詰めだったのを今思い出したのだ。
 コップになみなみと注がれた水を一気に飲み干し、大きくため息を吐き、布団の上に散乱した書類を片付ける。魔法が使えず新たな情報も入ってこない現在、近右衛門に出来ることは本当に無かった。
「少し休憩でもするかのう。年を取るとかわやが近うていかん」
 自分しか居ない部屋で誰かに断りを入れ、ベッドを降りたとき、丁度タイミングを見計らったように電話が鳴った。
 なにか新しい情報なのかと近右衛門はすぐさま電話を手に取る。高畑・T・タカミチと表示されいた。
「もしもし、近衛じゃが高畑君か?」
[高畑です。学園長、つい先ほど長谷川君が戻ってきました]
「なに!? それで首尾は?」
 病院だと忘れて声が大きくなる。結界を監視しているはずの協会の方からは連絡は来ていない。 
[敵は健在というのはおかしな表現なのですが、バラバラにして異次元に飛ばし時間を稼いだと報告を受けました]
「健在でバラバラ、不死身らしいからのう。それに加えて異次元か……転移魔法の攻撃転用かのう」
 近右衛門が術の種類を瞬時に判断してどれぐらいの時間を稼げるか計算する。結果が出ない。そう時間は取れないような気がするが、逆に気の遠くなる時間を稼げるかも知れない。
(犯人があの時、覗いていた者と同一人物なら戻ってくるなど容易いか、バラバラに飛ばされた事がどう作用するか分からんが)
 もしくは、あの時覗いていた者と犯人が別だった場合。回収はより簡単だ。
(しかし、こんな事は術を掛けた長谷川君も重々承知の筈じゃな。それを含んで時間を稼いだといったのじゃ、他にもなにか仕掛けをしているということじゃろう)
 結界が解かれていないのもその一環かも知れないと一人納得し、
「それで長谷川君から話は聞けたのかのう」
 想像を広げる要理も、現物の情報が欲しかった。出来る事なら戦えた理由が、どうやって奇怪な術を防いだのかその方法が知りたかった。それが分かれば協会でも対処可能だ。たとえ殺せなくても封印する手立てはいくらでもある。この都市にはその手の技術が山ほど備わっている。
[いえ、話はエヴァの別荘で聞くことになってなりました。見た目には傷はないのですがダメージは深刻のようで回復も兼ねているようです]
「そうか」と応えながら近右衛門は心中で一時間と呟いた。エヴァンジェリンの別荘は入ったら一時間出られない。 
「一時間以上持つと長谷川君は考えて居るのか?」
[そのようですね。それに長谷川君がちょっとした知り合いを連れて来まして……]
 その彼女なんですが、と続けようとしたタカミチに近右衛門が言葉を重ねた。
「知り合いとな……そう言えば侵入者もあったからそれかのう」
[侵入者ですか?]
 明日菜からの一報の後すぐに行動を起こしたタカミチはその事を知らなかった。
「うむ、あの後結界にも反応があってのう。侵入こそ感知できたがその後がよろしくない。まったくと言っていいほど痕跡を辿れないでおる。最重要問題に接触はしていないようでその件は任せきりになっておった」
[それだけでも聞いておきましょうか?]
「そうしてくれるか」
 ガチャリとドアの開く音が聞こえてきた。千雨達に聞かれないように席を外していたのだろう三つの声が聞こえ出す。
 近右衛門はマイクが拾う音に意識を集中させた。
[長谷川君、君が戦っている間に侵入者があったんだけど、その子かい?]
[あ~~、正木じゃないですけど、知り合いですね]
[私は電車に乗ってきましたけど……]
[じゃあ、侵入者は君の知り合いで間違いないんだね]
[同時に侵入してきていなかったら間違いないと思いますよ]
[それにしては、ここにはいないようだけど]
 会話が途切れた。
(どうしたんじゃ……)
 近右衛門はぱっと結界の中に置いてきたと思ったのだが、それなら素直に口にしてもいいはずだ。黙考が長すぎる。
[……やられましたから]
 一言そう告げるとまたしても会話が途切れた。全然大したことじゃないように語られる口調。
 それを聞いた者は沈黙したまま動かない。ただ近右衛門だけが、
(どう取ればいいのじゃ)
 死んだのか、死んでいないのか、怪我を負っただけなのか、近右衛門は千雨の表情が見られない。声だけで判断するとどうなったのか分からなかった。
 しかし、痛いほどの沈黙が場の空気を伝えてくる。
 それを思うと近右衛門も苦い表情を作った。犠牲者が出るのを割り切れるが、これでも思うところがまったく無い訳ではない。
 誰も語ろうとしないなか、千雨が変わらぬ口調で言った。
[そんな重い空気にならないでください。別に死んだ訳じゃありませんから、ちょっと治療中で姿を見せれないだけですよ]
 ホッとしたような空気が電話越しにも感じられた。
「そうかい、ありがとう」
 タカミチ移動する足音が聞こえ、ドアが開いた。
「いろいろと聞きたいことはあるんじゃが、手短にしよう。長谷川君が別荘の中に入っている間にもし犯人が戻ってきた場合の時間稼ぎじゃがどうするのじゃ」
[少し出た女の子が時間を稼ぐようです]
「ほう。どうやって」
 もう確立しているのなら、その方法をこちらにも回して欲しかった。
[どうも魔法使いではなく呪術師らしいです。式神を使って時間を稼ぐとのことです。あと、その正木荘子という女の子なんですが、もしかしたら天ヶ崎千草かも知れません]
「なにかそう思うことがあったのか」
 はい、とタカミチが簡単にあったことを説明しだし、近右衛門はそれに耳を傾けた。





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 一週間ほど経ってからの連絡なので遅いのですが無事です。 
 親戚が宮城に住んでいましたが、火曜日に連絡が取れ、家は無茶苦茶だが無事だと確認できました。
 私は近畿に住んでいるので影響等ないのですが、阪神大震災を経験しているので、身につまされる思いです。
 震災に遭われた読者の方が、私の二次小説など呼んでいる暇など無いと思いますが、そしてなにより月並みな言葉で申し訳ありませんが、頑張ってと言わせて下さい。 
                                               オギカド カヤ

 追伸、宮城を宮崎と書いていた。恥ずかしい。素で間違えてた。宮崎と書いてなんの疑問もなく宮城と書いていると思ってた。この辺りが誤字、脱字が少なくならない理由だと痛感しました。

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